ロシア検察当局は、エカテリンブルクで前年発見された遺骨について、遺伝子鑑定の結果、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の子供であるアレクセイ皇太子とマリア皇女のものであると確定した。
ここでニコライ2世と一家の悲劇を簡単に振り返ってみよう。
革命の後、ロマノフ王朝は幕を閉じ、ニコライ2世と皇后、5人の子どもは当初シベリア西部のトボリスクに流された。十月革命の後、ウラル地方のエカテリンブルクへ移され、イパチェフ館に監禁された。
しかし、チェコ連隊の決起により白軍がエカテリンブルグに近づくと、革命政府は皇帝が白軍により奪回されることをおそれ、1918年7月17日、レーニンはロマノフ一族全員の殺害を命令を受けた処刑隊が、皇帝一家7人と従者3人、侍医1人をイパチェフ館の地下で銃殺した。
遺体はただちに焼却されて付近の塩山に埋められたという。
当時アレクセイは13歳、姉のマリアは19歳だった。
一家の悲劇の簡単な経緯はウィキペディア(Wikipedia)参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニコライ2世
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクセイ・ニコラエヴィチ_(ロシア皇太子)
http://ja.wikipedia.org/wiki/マリア・ニコラエヴナ
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