歳s[saiz]_WOMEN 〜女の○○歳 | INTERIOR ANGLES 〜インテリアの殿堂 

2008年07月17日

13歳と19歳 ニコライ2世と一家の悲しい結末



ロシア検察当局は、エカテリンブルクで前年発見された遺骨について、遺伝子鑑定の結果、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の子供であるアレクセイ皇太子とマリア皇女のものであると確定した。

ここでニコライ2世と一家の悲劇を簡単に振り返ってみよう。

革命の後、ロマノフ王朝は幕を閉じ、ニコライ2世と皇后、5人の子どもは当初シベリア西部のトボリスクに流された。十月革命の後、ウラル地方のエカテリンブルクへ移され、イパチェフ館に監禁された。

しかし、チェコ連隊の決起により白軍がエカテリンブルグに近づくと、革命政府は皇帝が白軍により奪回されることをおそれ、1918年7月17日、レーニンはロマノフ一族全員の殺害を命令を受けた処刑隊が、皇帝一家7人と従者3人、侍医1人をイパチェフ館の地下で銃殺した。
遺体はただちに焼却されて付近の塩山に埋められたという。

当時アレクセイは13歳、姉のマリアは19歳だった。

一家の悲劇の簡単な経緯はウィキペディア(Wikipedia)参照のこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ニコライ2世
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクセイ・ニコラエヴィチ_(ロシア皇太子)
http://ja.wikipedia.org/wiki/マリア・ニコラエヴナ


[関連コラム]
その頃有名なあの人は・・・「あの人の13歳」

その頃有名なあの人は・・・「あの人の19歳」

ラベル:@19 @13
この記事へのコメント
またかという感じですね。ロシアはソビエト時代からニコライ2世一家の最期に関しては報道が二転三転していますね。ソ連共産党は1920年代に皇帝以外の家族は無事に保護されていると言い続けていました。それがいつの間にか一家皆殺し説に転向してしまっています。法医学調査だろうが遺伝子検査だろうが、ロシアのやることですからかなり眉唾モノだと思います。一家の遺体が一緒に発見されたからといって一家が一緒に皆殺しにされたということにはなりません。アナスタシア大公女を名乗るアンナ・アンダーソン夫人の遺伝子検査にしてもサンプルのでっち上げを否定しきれません。結局エカテリンブルグ事件の真相は依然闇の中と言わざる負えませんね。
Posted by ツシマ at 2008年07月17日 21:05
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。